一八九八(明治三一年)に明治民法が公布され、一九〇〇(明治三三)年に行われた皇太子嘉仁の婚礼が一夫一婦制の広告塔になった、という話は前節でした。これとほとんど同じ時期に公布された重要な法律がもうひとつある。高等女学校令(一八九九年)だ。これは女子の中等教育について定めた法律なのだけれども、その意味するところは「良妻賢母教育」のスタートだった。当時の文部大臣菊池大麓は、一九○二(明治三五)年の全国高等女学校会議ではっきりと述べている。「日本では此の婦女子と云うものは将来結婚して妻になり母になるものであると云うことは当然の身の成行きであると云う様に極って居るのであります」高等女学校令とこの訓示によって、女子の本分は結婚すること、女子教育の目的は良妻賢母を育成すること、それが「国家の方針」になったといってよい。
三月、五月、七月はお節供、十二月一日は水神祭りの日で、この日は川辺で水神に供え物をする。川浸りの朔日ともよばれていた。水辺で水死する子どもの運命を何とかかえようと、大人たちがいろいろ工夫をする。母親は息子をなるべく川普請にださないようにしているが、どうしても参加しなければならなくなる。ちょうど十五歳も終わる頃で、母親は致し方なく子どもにお餅を持たせて、川に近寄らないように指示した。いよいよ授けられた運命が尽きてしまうという日に、川の主である水神は、たまたま自分の好物である餅をたべている子どもにその餅をよこすよう頼み、子どもは母親の言いつけにしたがって、餅を川の主に供えた。そのお蔭で、その子は水死することはなく、長寿の運命を与えられることになったというのである。誕生する生命には運と不運があり、それをウブガミが予知してくれる。それによって人は自分の運命を幸運になるようコントロールすることができる。
ある夏、人の家を訪問したときに、女性の一人が素足でペタペタとフローリングの廊下を歩いていくのにドキッとした。着物では、和室に入るときに白い足袋の裏が少しでも汚れていたら、新しい足袋にはき替える。これはおけいこ以前の常識だ。裸足は汗やホコリで汚れるもの。ミュールで素足だとしても、人の家に上がるときは、白い短めのスポーツ用ソックスやレースのソックスを用意して、上がるときにさっとはこう。本来、手みやげは風呂敷に包んで持ち運びするものだが、今は紙袋で持っていくことがほとんど。しかし、どんなにきれいなものでも、紙袋はあくまでも運ぶ人用の簡略化されたバッグだ。手みやげは紙袋から中身を出して渡すのが正しい。渡したあとは、邪魔にならないよう紙袋はこちらが持って帰ること。ただ外出先などでお渡しし、相手が移動するときは別。箱だけでは荷物になるので、紙袋ごとお渡ししてお使いいただく。